南米美術案内
− アンデスからのメッセージ (1) −

アンデス文明の多彩な美術を案内します
(0)初めに/甦るアンデスの美術
(1)不思議な壺/チャビン文化

(2)リアリズムの時代/モチェ文化
(3)砂漠に咲く花/ナスカ文化
(4)海の道/ビクス文化
(5)湖の神話/ティアワナコ文化
(6)ゆるやかな国家/ワリ文化
(7)考古学者ができるまで/シカン文化
(8)黄金伝説/シカン文化
(9)黒の時代/チムー文化
(10) 個性派の生きかた/チャンカイ文化
(11) 衣装の意匠/チャンカイ文化
(12) 山の道/インカ文化

あぶみ型壺
ペルー ・ チャビン文化
紀元前6世紀 ・ 高24cm
不思議な壺
チャビン文化(紀元前1000〜前500年)
 アンデス文明の土器には、特徴のある形のものが多いが、なかでも最も印象的なのは、あぶみ型壺と呼ばれるものだろう。

 ’あぶみ’というのは、馬に乗るときに使う鐙(あぶみ)のことである。壺の注ぎ口の輪のようになった部分(写真参照)が、その鐙の形に似ているというのだ。もっとも、これらの壺が作られたころには、アメリカ大陸には馬はいなかったので(馬の祖先は新大陸原産だが、すでに絶滅していた)、この命名には多少の違和感がある。後に、アンデスの人々は、侵略者スペイン人の乗る馬を初めて見て、逃げる術も戦う術もなく、さんざんに略奪されたのだし……。


 あぶみ型壺は、紀元前の土器作りの初期、チャビン文化の時代には現れていた。儀礼の際、酒を汲むために使われたとされている。
 チャビン文化は、ペルーの北部山地および海岸地帯に発した、アンデス文明の母文化と呼ばれるものである。その強い影響は同時代の広範囲に、また後世にも及んでいる。

 初期のチャビン式土器は、細かい粘土を還元焔で焼き、表面をよく研磨してあるので、色は黒褐色で光沢があるものが多い。後期になると、焼成温度が高くなるため、褐色、淡褐色のものも現れる。チャビンのあぶみ型壺は、特にそのあぶみの部分が太く、全体にどっしりとして、文明形成期の力強さに満ちている。

 それにしても、あぶみ型という、このような変わった形の壺を、なぜたくさん作ったのだろう。
 アンデスではチャビン文化以降、約二千年にわたってこの器形にこだわり、人物や動物の象形壺の背中にまで、あぶみ型の注ぎ口をつけなければ気がすまなかったのだ。中空の注ぎ口を曲げたりつないだりするのは、かなりやっかいな仕事にちがいないのに。
 この疑問について、現在はっきりした答えは出ていない。推測として言われるのは、この壺を傾けて中の液体を出すときに、注ぎ口の輪の上側になった方から空気が入り、液がスムーズに流れるということである。

 しかしこのやや複雑な器形は、そうした機能的な利点からのみ採用されたものだろうか。もっと別の宗教的、あるいは象徴的な意味があったのではないか。酒を入れたり出したりすると、注ぎ口の中でいったんふたつに別れ、その後またひとつになる。これを例えば、昼と夜、生と死、地上と地下などのふたつの世界への分割と和合を表している、などというふうに考えられはしないだろうか……。

 ※本稿は雑誌「目の眼」(里文出版)1999年8月号に掲載されたものです。

 アンデスからのメッセージ
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