南米美術案内
− アンデスからのメッセージ (12) −

アンデス文明の多彩な美術を案内します
(0)初めに/甦るアンデスの美術
(1)不思議な壺/チャビン文化
(2)リアリズムの時代/モチェ文化
(3)砂漠に咲く花/ナスカ文化
(4)海の道/ビクス文化
(5)湖の神話/ティアワナコ文化
(6)ゆるやかな国家/ワリ文化
(7)考古学者ができるまで/シカン文化
(8)黄金伝説/シカン文化
(9)黒の時代/チムー文化
(10) 個性派の生きかた/チャンカイ文化
(11) 衣装の意匠/チャンカイ文化
(12) 山の道/インカ文化

柄付き壺
ペルー ・ インカ文化
15世紀 ・ 高18.5cm
山の道
インカ文化(紀元1400〜1532年)
 ペルー山岳地の川、激しい急流に橋がかかっている。木でできた橋は、毎年の洪水で流されてしまうが、古い石積みの橋脚だけは、何年たってもびくともしない。その橋脚は、今から500年以上も前に、高い技術で建造された「インカの道」の一部である。

 インカは、もとは中央アンデスの小国家だったが、15〜16世紀にかけて、統率された軍隊による征服を行い、わずか100年の間に、100万平方キロメートル(日本の2.7倍)におよぶ大帝国を築きあげた。
 その広大な領土に張り巡らされたインカ道は、情報伝達や物資輸送の、まさに大動脈だった。総延長は4万キロにも達する。
 インカ道なくして、帝国の成立と存続は考えられなかったのだ。
 チャスキと呼ばれる飛脚は、キープ(紐でできた数量の記録装置)を持って、首都クスコと各地方の間を、リレー方式で1日約280キロ走ったという。

 沿道には、タンプという宿駅が建てられた。これはインカの地方支配の重要な施設であり、軍の遠征や官吏の巡察時に使われたほか、地元から徴収した食糧などを貯える倉庫を備えていた。
 農民は私有地を持つことは許されず、すべての農地は三つに区分され、それぞれ、太陽神、皇帝、農村共同体のものとされた。その神と皇帝の土地からの収穫物が、租税としてタンプの倉庫に納められたのだ。
 備蓄食糧は、祭礼や王室の運営に使われたのだが、それだけではなく、災害や飢饉、住民を従事させる公共工事の際に、広く配給された。また、寡婦、老人、障害者、病人などの扶助にも用いられた。
 こうした緻密な統制経済から、インカはしばしば「太陽の社会主義」と称される。

 さて、現在のエクアドルからチリにまで広がっているインカ道の跡の重要なポイントからは、必ずインカ文化のクスコ様式土器が出土する。これは、中央の皇帝が各地方の首長たちに下賜したものらしい。
 インカの土器で最も特徴的なものは、アリバロと呼ばれる美しいフォルムの尖底壺である。この時代に突然現れた形で、先進国の洗練されたイメージを全土に知らしめる役割があったのだろう。

 インカの建築や工芸は、それまでのアンデス美術の持っていた奔放な表現を抑制し,知的に構成された風格を大切にしているようだ。
 インカ道による情報と物流の一元管理が、美の基準にも大きな影響を与えたのだろう。

 ※本稿は雑誌「目の眼」(里文出版)2001年12月号に掲載されたものです。

 アンデスからのメッセージ
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