南米美術案内
− アンデスからのメッセージ (7) −

アンデス文明の多彩な美術を案内します
(0)初めに/甦るアンデスの美術
(1)不思議な壺/チャビン文化
(2)リアリズムの時代/モチェ文化
(3)砂漠に咲く花/ナスカ文化
(4)海の道/ビクス文化
(5)湖の神話/ティアワナコ文化
(6)ゆるやかな国家/ワリ文化
(7)考古学者ができるまで/シカン文化
(8)黄金伝説/シカン文化
(9)黒の時代/チムー文化
(10) 個性派の生きかた/チャンカイ文化
(11) 衣装の意匠/チャンカイ文化
(12) 山の道/インカ文化

神像付き壺
ペルー ・ シカン文化
10世紀 ・ 高18cm
考古学者ができるまで
シカン文化(紀元700〜1300年)
 『黄金の都シカンを掘る』(島田泉・小野雅弘著/朝日新聞社)は、推奨に値する本である。

 1992年、ペルー北部のバタン・グランデ遺跡から、巨大な黄金の仮面をはじめとする大量の考古遺物が発掘され、人々を驚かせた。調査の中心になったのは、南イリノイ大学の島田泉教授。島田氏は、この神殿群からなる遺跡を首都として8〜12世紀に栄えた文化を「シカン」と命名した。その後、この発掘成果は日本各地でも展覧され、大きな反響を呼んだ。

 シカンの文化は、かつて他の文化と混同されることもあったが、今回の発掘による構造物や出土品の検証から、一時代を画する独立の国家であることが認められた。その遺物には武器に類するものがほとんど見られないことから、軍事的色彩は弱く、一神教的なシカン神を頂点とする、強力なイデオロギーを持つ宗教立国であったと思われる。そして、各地からの巡礼を集める聖地としての立場を活かし、遠隔交易の中心にもなっていたようだ。
 シカンの代表的な土器は、よく研磨された黒陶の単頸壺で、注口部分に目尻の上がった独特の表情のシカン神が象形されている。だが後期に社会が変化しはじめると、この図像は姿を消す。

 さて、『黄金の都−−』は、この遺跡発掘の経緯を詳しく報告するとともに、そこに到るまでの島田氏のエネルギッシュな半生を興味深く紹介している。一言でいえば、それは「異文化を知るための旅の記録」である。
 日本に生まれた島田氏は、14歳で東洋美術研究者の父とともにアメリカへ渡った。英語も話せなかった少年は、やがて学者を志し、猛勉強をする。大学では、独創的な手法に基づく実験考古学に熱中する。そして、その過程で出会ったアンデス文明にのめり込み、ついに学者としてペルーへと赴く。幼少期を幸福に過ごした日本、激烈な競争を生き抜きチャンスをつかんだアメリカ、生活や仕事は過酷だが人間味あふれたペルー。この三か国を、三つの言語を駆使して、島田氏は旅をする。それら異質な社会の中で揉まれた豊かな経験と柔軟な視点は、やがて最大の異文化である古代アンデスの謎の解明へと結実していく。

「それぞれの文化のなかには固有の論理があり、論理のあり方さえ知っていれば、その文化に属する人と理解しあうことはそれほどむずかしいことではない」と彼は言う。それはそのまま、島田氏の考古学者としての姿勢を表しているのだろう。

 ※本稿は雑誌「目の眼」(里文出版)2001年2月号に掲載されたものです。

 アンデスからのメッセージ
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