南米美術案内
− アンデスからのメッセージ (6) −
アンデス文明の多彩な美術を案内します (0)初めに/甦るアンデスの美術 (1)不思議な壺/チャビン文化 (2)リアリズムの時代/モチェ文化 (3)砂漠に咲く花/ナスカ文化 (4)海の道/ビクス文化 (5)湖の神話/ティアワナコ文化 (6)ゆるやかな国家/ワリ文化 (7)考古学者ができるまで/シカン文化 (8)黄金伝説/シカン文化 (9)黒の時代/チムー文化 (10) 個性派の生きかた/チャンカイ文化 (11) 衣装の意匠/チャンカイ文化 (12) 山の道/インカ文化 人物象形壺 ペルー ・ ワリ文化 8世紀 ・ 高15.6cm |
ゆるやかな国家 ワリ文化(紀元700〜1000年) |
アンデス考古学では、「ホライズン」という言葉がよく用いられる。この場合「広域文化」と訳される。一地方を起点として発した文化が、広い地域に渡って影響を及ぼし、全体の統一をうながした時代を指す用語だ。 古代アンデス史においては、こうした広域文化が優勢な時代と、逆に各地方の文化がそれぞれに開花した時代とが、交互にみられる。 アンデス史前期のホライズンは、紀元前のチャビン文化の時代だ。強力な宗教を中心とした大様式が、中央アンデス全体を覆った。それは、政治的背景を持たない、純粋に文化的な現象であったと考えられている。 後期のホライズンは、15世紀インカ文化の時代である。こちらは、中央集権的政策と軍事力による大国家の支配であり、それにともなう文化圏の拡張だった。 そしてもうひとつ、中期ホライズンとして7世紀頃に中部高地に興ったワリ文化の時代があった。 ところがこのワリ文化は、その正体をめぐって、アンデス考古学上、常に論争の的となってきた。「ワリ帝国論争」である。 ワリ様式の遺跡や土器・織物などは、中央アンデスのほぼ全土に分布しており、しかもこれらがかなり短期間に広まったらしいことから、この国が強力な軍事力を持った一大帝国ではなかったか、という説が昔からある。 しかし他方には、ワリには帝国の首都や軍の施設となるような大規模な遺跡は見当たらず、また各地方に固有の要素も残っていることから、この広域文化は、活発な巡礼や交易活動による、宗教や建築・工芸様式の一種の流行ではなかったか、という説もある。 では、美術におけるワリ様式とは、どのようなものか。これは明らかに、先行するティアワナコ文化の強い影響下にある(両文化の関係もまた謎なのだが)。具体的には、チチカカ湖畔の「太陽の門」に刻まれた神像のバリエーションが、土器や織物のモチーフに頻見される。全体に直線を多用する幾何学的な文様で、高度の洗練に達している。 さて、「ワリ帝国論争」だが、前記ふたつの説の他に、実はもうひとつの考え方がある。ワリは中部高地に政体の中心を持っていたが、その外側には、交易や分業、契約や人的派遣による、政治・経済・宗教の広範なネットワークを築いていたのではないか、という意見だ。ゆるやかな国家、とでも言えるだろうか。 国境や国民の規定を第一とする近代国家観とは別の、多集団共存共栄のシステムが、ここにはあったのかもしれない。 ※本稿は雑誌「目の眼」(里文出版)2000年12月号に掲載されたものです。 |
アンデスからのメッセージ
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